2011年9月30日金曜日

15年前のストーリーテリングが残したもの

最近Facebookなどで昔の同僚や学生時代の仲間たちとのつながりが復活したり、実際に20年ぶりに再会して食事をするなど面白いことが起きています。



ずっと会っていなくても全然変わらないお互いがいることにいつも気づくし、それと合わせて自分がその当時どんなインパクトを与えていたのか今だからこそ相手が話してくれることも多く、とっても楽しい時間です。


ちなみに僕は「気軽に話ずらい雰囲気だった」というのが多いようですw



そんな中ふと気づいたことがあります。



15年前、僕はRecruitという会社に在籍していました。



この頃、組織の再編が頻繁に行われていて僕らも新人を含めた大所帯の部署としてスタートするというタイミングがあり、それに合わせキックオフも兼ねた宿泊研修を行うことに。







2011年9月13日火曜日

言葉が理解できない方が、相手がわかる?

今年の7月に、NVC(ノン・バイオレント・コミュニケーション:非暴力コミュニケーション)の日本で開催されたワークショップを受けました。


NVC:心理学者マーシャル・ローゼンバーグ博士により提唱された、コンフリクトを乗り越えるためのコミュニケーション方法。家庭やビジネスといった日常のシーンから、国家間の紛争調停や、紛争後の民族間の相互理解と和解のステージまでと適用範囲は広いです。



このワークショップの中で、興味深い経験をしました。


このNVCでは、評価判断は一切横におき、その人の言葉や感情の奥にある、根源的な欲求である「ニーズ」が何かということに焦点を当ててコミュニケーションを行います。
needs-wheel (具体的にどのようなニーズかはこちら参照ください)





根源的なニーズは世界10数か国でワークショップを行った経験から、人種、国家、言語、宗教などに関係なくほぼ同等のものになるとのこと。






少し端折りますが、片方のニーズを満たすのではなく、お互いのニーズを満たす状態を目指しています。



あるワークでの事です。


ストーリーテリングで語り手の話をとにかく聴きます、そして話が終わったところで話し手にどんな「ニーズ」があったかを聞き手は「ニーズカード」(ニーズの一つ一つがカードになったもの)を渡して伝えます。
needs card


約10人一組で行ったのですが、その中には外国の方がいました。

それも、英語ではなくポルトガル語とヘブライ語が母国語!


通訳が入るのかと思いきや、ストーリーテリングは母国語で通訳なしで行います。



英語ならともかく、ポルトガル語、ヘブライ語に関しては全くわかりません。



ポルトガル語で話す女性の順番になり、僕らはすべての感覚を使って彼女の話を聴きます。


約5分間、もちろん内容に関しては全く(本当に全くw)わかりません。



ただ、その中でも彼女から聴こえた「ニーズ」をカードを使って彼女に伝えます。



彼女はとても驚いた様子でした。



何が起きたかというと話の内容がわからないはずの人たちからもらった、ニーズカードは彼女にとってすごくしっくりくるものばかりだったのです。



僕も、不思議な感覚ですが彼女の話の内容は全くわかりませんが、彼女のニーズはとてもクリアに伝わって来た気がしました。



言葉の内容がわからない分、なんだかすごく素直に彼女のエネルギーだけが入ってくるような感覚で、何かもどかしい感じや、悲しみ、認めてほしい気持ち等が聴こえてきました。



言うまでもないですが、もう一人のヘブライ語で話した男性も同じことが起きました。



この経験は本当に感動したとともに、僕の中である一つの問いも生まれました。



「言葉がわかることで、かえってその人の本来のニーズが見えなくなるのかもしれない」



というのも、不思議なことに大半の日本語でのストーリーテリングよりも、理解できない言語で話した2人のほうがすんなりニーズが伝わってきたような感覚が残った気がしたのです。



言葉があることはすごく助けになるけれど、その分言葉に頼ってしまうこともある。



エネルギーから多くのものを感じ取れるのは、根源の「ニーズ」が共通しているからということも知りました。



僕がコーチをする理由、「本当の声を聴く」事にもつながる大切な大切な体験です。

2011年9月9日金曜日

母の最期と本当の声

何故、独立してコーチという仕事をしているのか?


独立するときも、してからも何度となく考えては言葉にしている問いです。


僕がコーチという仕事をしている理由は「その人の本当の声を聴く」という事だと考えています。


そしてそう思った僕の原体験はなんだろう?と考えた時に出てくるエピソードが

「末期がんの母親と家族の関わり」です。


母は8年前に癌であることが発覚し、6年前の4月に亡くなりました。




2011年9月5日月曜日

好きな理由は“祭”と“場”

今、まさに全国的に秋の“祭”を実施している時期。


僕が住んでいる武蔵小山(目黒区と品川区の境あたりに位置)でも、多くの神社や地区で規模はさまざまですが活発に行われています。


正確に住んでいるところは品川区なのですが、もともと小さな下請け工場が多かった地区で洗練されているというよりは、車が入れない細い道もまだ結構ある下町のような雰囲気の場所です。



結婚と同時に引っ越してきて、もうすぐ10年たちますがこの街をとっても気に入っています。



なんでそんなに好きなのかな?と考えると交通の便がいいとか、商店街があるとかいろいろありますが、そういったことも含めてこの街にはこの街特有の“場”があることかもしれません。