今ある本を読んで、衝撃を受けています。
結構売れている本なので読んだ方もいるかもしれません。
木楽舎 「動的平衡2(Dynamic Equilibrium 2)」
福岡伸一 著
先日、前作「動的平衡」を読み、あまりに面白いのですぐにこの「動的平衡2」も買って読むことに。
内容は、、生命とは何か?という問いを「生物学」の観点から紐解いていきます。非常にユニークで本質的な観点がすごいと思いつつ内容の評価をしたいわけではありません。
その中に僕らの生業であるコーアクティブコーチングやシステムコーチングに関するヒント、特に関係性に関しての示唆が多く見られて僕は一人でえらく興奮しているわけです。(仕事もせづこればかり読んでますw)
色々ありますが、その中の一文をご紹介。
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それは細胞のコミュニティのあり方についてである。
中略・・
そして細胞はいずれも脳細胞、肺細胞、心筋細胞、肝細胞、上皮細胞という具合に高度に専門化している。これを細胞の分化という。
けれども、どの細胞も、もとから自分の役割を知って分化したわけではない。
細胞ごとに、分化の命令がDNAに書き込まれたわけでもない。たった一つの受精卵として出発した細胞は、二分裂、四分裂、八分裂と倍々に増えていくが、最初のうち細胞はどれも全く無個性で平等だ。この間、コピーされて手渡されるDNAも全く同じものである。
しかし、細胞数がある程度増えてくると、細胞は中空のボール状の塊となる。杯である。杯の中で、いったいどんな会話が交わされているのだろう。
それは喩えて言うなら、こんな感じである。
君が脳の細胞になるなら、僕は肝臓の細胞になろう。そっちが皮膚を作るなら、こっちはその下にある筋肉を作ろう。
細胞はお互いのコミュニケーションを通して相互補完的に自分の役割を決めていくのである。
それに応じて、DNAの中から専門的に必要な情報を選択して読み出し、細胞はそれぞれの分化を進めていく。
細胞のコミュニケーションはバーチャルなものではなく、どこまでもリアルなのである。細胞は互いに接触し、分子を交換しあう。
文字通り、フェイス・トゥ・フェイス。フランス風に言うならヴィザヴィ。
自分のあり方は関係性に依存する。それゆえにこそ、生命は柔軟で可変的であり、また適応的なのだ。つまりは細胞も隣人祭りを心がけている。
私たち人間は所詮「木を見て森を見ない」存在である。しかし、細胞と同じように「お隣」とは情報交換ができる。
そのことに、人間社会の問題を解決するヒントがあるように思う。
木楽舎 「動的平衡2(Dynamic Equilibrium 2)」
福岡伸一 著
第九章 木を見て森を見ず -私たちは錯覚に陥っていないかー
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僕らがシステムコーチング(組織・関係性に向けてのコーチング)でよくこのような比喩を使います。
もし、このチームが一つの生き物だとしたら。
もし、この組織が一つの生き物だとしたら。
もし、日本が、世界が一つの生き物だとしたら。
木を見て森を見ずという言葉にあるように全体を見ることは簡単ではありません。
ただ細胞レベルでも、始まりはお隣さんとのフェース・トゥ・フェースから。
僕らは複雑に考えすぎなのかもしれないですね。
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