2010年6月8日火曜日

相手の立場で考えることはできない

よく、「相手の立場に立って考えろ」と言われます。


これは子供のころから言い聞かせられてきたことでもあり、社会人になると暗黙の了解のようなふしさえあります。

即ち、ほとんどの人がそのことを理解していると思ってよい考え方です。


が、しかし、身近なコミュニティーや組織、家庭、パートナーなどの間ではお互いの立場からの主張のぶつかり合いは減りません。


別に主張がぶつかること自体悪いことだとは思っていないですが、相手の立場に立つという言葉の多くが、本当の意味では相手の立場に立っていないように感じます。


個人的な感想としては、相手の立場に立って考えるという場合の多くは正確には「自分の立場から、相手の立場を想像している」ということが起きているのではないでしょうか。


ちょっと辛辣に書けば、自分の立場からの眼鏡をかけて、相手の立場を考えているだけで、そんなものいくら考えてもそもそも自分の立場は脅かされないような状況を前提にしているわけで相手の立場に立っているようで立っていない。


でも、普通はこうなりますよね。大抵の場合、これを「相手の立場に立って考える」と呼んでいるわけですし、何も意識しなければこうなるのが至極当然。

私の経験も踏まえてここに書いていますが、以前森でワークショップをしているときに、私の尊敬するコーチの方に言われた言葉があります。

「もし葉っぱの気持ちを知りたければ、葉っぱになることだよ」



その時は「?」で、あまり理解できませんでした。
でもこの言葉は相手を理解することの本質を示唆していると今は感じます。


では具体的には相手の立場を本当に理解したければどうすればいいのか?
それは、僕なりのことばでいえば「自分の立場を脇に置いて、相手そのものになってみること」だと思います。


「相手そのものになるってどういうこと?」と思う人もいるかもしれません。

もちろん、完全にその人に成り代わることはできません、でも自分の立場から考えることよりもはるかにその人そのものになるための手段はあります。

これは私たちが行う、システムコーチング(組織やチームなどに行う、関係性=システムへのコーチング)でもよく行う手法でもあります。



例えば、場所を入れ替わってみる。

部下の気持ちが知りたいと思えば、自分が部下の席に座ってみてそこからの景色や感覚を実感してみることです。何が見えるのでしょう、居心地はどんな感じなのでしょう?


例えば、いつも掛けられているような言葉を掛けられてみる、そしていつもするリアクションをしてみる。

普段、その部下に自分が掛けているような言葉を誰かにかけてもらう。そしてその部下がいつもしているようなリアクションをしてみるのです。(自分だったらこうするではなく、部下と同じことを体験してみるのです)。どんな感覚や感情が起きるのでしょう。


そうしてみることで、どんな言葉や感情、感覚がわいてくるのでしょう。


自分の立場は一回脇に置いておくことも忘れずに。もし脇に完全におけなくても置こうとする努力をし続けてください。


ここで見えてきたり感じたものはきっと、自分の立場から相手の立場を考えたものとは違ったものではないでしょうか。


相手の立場を考えることではなく、相手そのものになってみることは皆さんの関係性にどんな変化をもたらすのでしょうか。

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