2011年9月30日金曜日

15年前のストーリーテリングが残したもの

最近Facebookなどで昔の同僚や学生時代の仲間たちとのつながりが復活したり、実際に20年ぶりに再会して食事をするなど面白いことが起きています。



ずっと会っていなくても全然変わらないお互いがいることにいつも気づくし、それと合わせて自分がその当時どんなインパクトを与えていたのか今だからこそ相手が話してくれることも多く、とっても楽しい時間です。


ちなみに僕は「気軽に話ずらい雰囲気だった」というのが多いようですw



そんな中ふと気づいたことがあります。



15年前、僕はRecruitという会社に在籍していました。



この頃、組織の再編が頻繁に行われていて僕らも新人を含めた大所帯の部署としてスタートするというタイミングがあり、それに合わせキックオフも兼ねた宿泊研修を行うことに。












研修の内容は事前にはメンバーには伝わっておらず、金曜日の夕方から始まると当時のマネージャーは確かこんな言い方で僕らに研修の意図を伝えてくれたと思います。



「今日の夜と明日の午前中にかけて、みんなっと知り合うための時間にする」



「好きな順番で自分の事を学生時代からも含めてでいいので話して」



ちなみにその部署は、もともと同じ営業所にいた人間がほとんどで、知らない人どおしというよりは、よく知っているメンバー+新人といった感じだったので、僕の率直な感想は



「今さら?で、それだけ?」



だったことをぼんやり思えています。



始まってみると誰かファシリテーションするわけでもなく、ひたすら本人が話したいように話始めて長い人は30分近く話していることもあり初日は夜中の2時くらいまでひたすら話をしてもらうことをして、それでも終わらず翌日の午前中も9時から話を聞くばかり。



とにかくそれぞれの今までの人生の中での話したいことを話す、という場だったわけですが、正直面白いとこもあるけどこれやったからどうなんだ?なんて、斜に構えていたことも思い出します。



今Facebookやほかの手段も含め以前の同僚と改めてつながることを経験すると、この「ストーリーテリング」は僕の中ですごく鮮明に想い出されることに気づきます。



仕事上の役割の事だけでなく、


「どんだけ学生時代にドジだったのか」
「世界を旅して、ユニークな経験をしているのか」
「前職でどれだけ苦しんでいたのか」



というその人の個人的な出来事、感情などが鮮明なイメージや質感として思い出せます。


なんだかとっても愛着のあるような、そしてすべての人が物語を持っているという感覚も。



今、僕はストーリーテリングなどをあらゆる場面で活用していますが、なんだかあの時にやったお互いの話したいことを話してひたすら聞くという、当時はめちゃくちゃだなと思っていたことが原点だったかも知れないと思えてきます。



ストーリーテリングによって、15年経った今でも僕はその時の仲間を色あせることなく、愛着を持って思い返すことができて、かつ誰もが何かしらの「心に残るストーリー」を持っていることを実感。



今思うと、そこそこ知っているメンバー同士であえてお互いの「物語」をひたすら語る場をつくったマネージャーは本当にすごいなと・・・。



そこそこ知っているメンバーだからこそやったのかもしれません、「知ってるつもり」にならないように。



今思えば、そういった機会がなければ全然違ったことが職場でも現在でも起きていたのかも。



15年たっても、その人たちがそれぞれの「ストーリー」を持っていることを僕は知っています。



こう書いているうちに、この15年でどんなみんなにどんな「新たなストーリー」が加わったのかにも好奇心が向いています。



システムコーチングなどを通して、職場でお互いに人間として関心を向けることが大切だと信じている僕の根底にある無意識の経験だと思います。



今、やっていることは偶然ではないんだなと最近思うことが本当に多く、歳かな・・w

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