2011年3月6日日曜日

悲しめない人は喜べない

僕は感情をそのまま表現するのが、以前は本当に苦手でした。


何の思い込みがあったのか、どんな時もクールにいることをとても強く実行しようとしていた気がします。今考えても何がきっかけだったかは本当によくわかりませんが・・。


先日あるサイトで感情についての話を取り扱っていて面白いなと思うことがありました。



人間は感情を部分的に抑えることは出来ないようになっているという話しです。



社会通念なのか、会社という組織での暗黙の了解なのか、特にネガティブな感情(正確に言うとネガティブと言われている感情)はあまり表に出さないようにすることが求められたりするします。









逆に悲しさや怒りなどの感情がある時に、あえて笑顔を作ったり、無理に前向きにふるまったりすることも多いかもしれません。そうするべきだと教えてくれる人もいます。


これ自体悪いことではないですが、ずっとこれを繰り返していると今度は本当にうれしい時もいつの間にかこれと同じような反応になっていくとのこと。


無表情とか感情が無くなってしまっているような状況に比べるとましなように感じますが、実はそんなに変わらないそうです。


本当に感じた感情をそのまま出すことのできないことには変わりがなく、それは結局感情そのものを機能不全にすることで状況をしのいでいるともいえます。


これを聞いて僕は母の癌で知った抗がん剤治療を思い出しました。


抗がん剤治療も昔に比べだいぶ進歩はあると思うので、専門的な見地からの話ではないですが・・・・


抗がん剤は基本的に突然変異のがん細胞の活動を抑えるために周りの健康な細胞も全体を弱らせるというアプローチです。


僕の母も癌で亡くなる際に何度か抗がん剤の治療を行いました、それによってとても体がだるくなり気力が湧かないことに嫌気がさし抗がん剤治療をストップして、最後はホスピスでの緩和治療を選択したことを思い出します。


彼女はきっと、抗がん剤治療は少しばかり延命の可能性は高いけれど自分の体全体を弱めるような治療は行わず、自分自身の本当の感覚を大事に残りの時間を大事に生きたのではないかと思えます。


自分の感覚に正直になって、悲しみも、怒りも思いっきり感じることができて初めて思いっきり喜んだり楽しんだり出来る。



個人的に人間は感情的に満足することが全ての目的だと考えています、何かの行動や事柄なども結果それによって自分が欲しい感情を味わうことが最終的な目的です。


いくら周りがうらやむような状況が訪れても、感情とリンクできていなければ意味がありません。


僕は今、思いっきり悲しみたいことがあります。


いい機会なので、自分自身思いっきり悲しみに浸ってその感情を味わいつくすことでまたその先に楽しみが増えてくる、そう考えると楽しみです。


みなさんは今、本当は悲しみたいことや怒っていることがあれば思いっきりその感情にどっぷり伝ってみてはどうでしょう?

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