コーチングを行う中で、人それぞれの
思い込み
があることに気づきます。
僕自身も猛烈な思い込みを持っていた一人です。(今でも結構あります!)。
以前私のクライアントで、疎遠になっている友人がいて気にはなっているけれども自分の事を避けているからなかなか声をかけずらいというテーマがありました。近々自分の結婚式に呼びたいと考えています。
「何故避けていると感じるのですか?」
「最後に話した時に、ちょっとした意見の相違があったと感じたからです」
「具体的には?」
「私は違う意見を持っているということをやんわりと言われた気がします」
「気がするだけですか?」
「はっきりとは言っていませんでしたが、そんな感じがしました」
「では、はっきり言われたわけではないんですね?」
「そうかもしれません・・・。でも、そのあと一度メールをしたものの返信が無かったことがあります」
こんなやりとりがあって、結局この件についてこのセッションでは、この視点は根強いままおわりました。
数日後、このクライアントさんからすごく興奮した様子で電話が。(何時もはメールなんです)
「はっしーさん、実はこの間話した友人と連絡が取れて結婚式に来てくれることになりました!」
その間に何があったか、聞いてみると意外な返答がありました。
実は、直接連絡取る事はできなかったそうです。避けられているとしか思えなかったので連絡しても無駄だろうというところからは出れなかったとのこと。
そんな時、このクライアントさんがPCの操作ミスで大量のメール誤配信をしてしまった事件があり、その中に偶然その友人のアドレスが混ざっていて、それを見て返信をしてきたとのこと。
ご配信で、お詫びのメールをする中にそのメールを見つけ彼女と連絡を取って、コーチングセッションで話したことを思い切って避けられ低いることなど話してみたそうです。
すると彼女は大笑いして
「全くそんなことない!」
と言われたとのこと。
最後に話した時、意見の相違があった認識はないとのこと。
確かにその時は体調があまり良くなかったそう見えたのかも知れない。メールに関しては送ってもらった時期に引越しがあり、その関係であまりメールがチェックできなくて返信できないものがあったそうです。
たまたまの認識違いが、時間がたつにつれすっかり「まるでそれ以外は無い」かのような認識になっていった例です。
ちょっと、極端な例ですがいろんな事をきっかけに思い込みはできていきます。
個人事業主でビジネスが厳しそうな人の話を2人も聞いた ⇒ 独立は厳しい
12歳までで無いと、ネイティブの英語は身につかないと聞いた ⇒ 40代から英語を話すことは無理
返事がない ⇒ 嫌われている
自分の好きなことをやる ⇒ 人に迷惑がかかる
こういった思い込みは、そのまま放置すると正当化のプロセスが進み強化されていきます。
例えば、「独立は厳しいという目で見ているのでそのような情報ばかりが目につく」
⇒ やっぱり独立は厳しい!
思い込みを外すことで、意外なレスポンスが世の中からあると思います。
僕自身独立するにあたり退職のご挨拶すると、いろんな反応がありました。
あまり良い関係と認識していなかった顧客企業からびっくりするほどの感謝の言葉や、ご紹介や、実際の仕事も一緒にできることもあります。半面、非常に仲良くしていたと感じるところがあっさりドライな対応になったりすることも。
要はその時になって、試してみないと分からないんです。
今見えている世界は、何が思い込みで何が思い込みではないのでしょう?
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