2011年3月31日木曜日

「未来を好きなように想像する力。女性経営者のエネルギー」

現在、あるいは以前を含め僕のコーチングでのクライアントには女性経営者、あるいは女性事業主の割合が多いです。



様々な事業(業種)を営む方々で職業的な共通点があるわけではありません。



ただ彼女たちの志向にはある傾向が見えます。もちろん男性にそういった人がいないわけではないのですが、女性のほうが顕著だと感じることは確か。それも特に経営者。



何か?



それは


「意思決定の源泉が未来にある」

ということです。



もっというと、未来を自分の好きなように想像する力が高い!





2011年3月29日火曜日

自分と “全然合わない人” を大事に

「この人と価値観が合うかどうか?」


友人、パートナー、ビジネスの世界でもこういった視点で相手を見ることが多いのではないでしょうか。


当たり前です。


でも、ふと考えてみると、僕が本当に成長したりブレークスルーしたシーンを思い出すと必ずそこには自分とは価値観が大きく違う人がいました。


価値観が違うとか、そんなレベルではなく



「全然合わない、あいつとは」



出会った時はそんな位置づけの人だったということも多々あります、みなさんもありませんか?







現在僕が一緒にビジネスやコミュニティの仲間で、特に大事だと思っている人は不思議と初めての出会いではかなり自分とは遠い所にいる存在。



ちなみに今でも、自分とは違う考えは健在です。一緒にビジネスをしていて腹が立ったり、いらいらすることもしばしば。



そのたびに居心地の悪い思いをしつつ、お互いの考えを交わし・・・



正直わかりあえないことも沢山あり、綺麗事ではすまないことばかり。



でも、こうした仲間と時間をかけて何かを一緒にやっていくこと先には、何かを越えてきたような、本当にお互いのことを知っているという絆のような感覚が僕にはあります。



そして、本当に困った時にSOSを出すのはこの人たち。



自分ではどうにもならなくて全く違った見方で打開したい時で、それだけ頼りにしている証明です。



「いろいろな考え方があっていい」という、価値観の違いを認めることから始まります。



ただ、もっと大事なことは価値観の違いをぶつけ合うことができるのかどうかだと経験は僕に教えてくれています。



誰を本当に大事にするべきか?



「全然、合わない。あいつとは」



と思っている人かもしれません。

2011年3月28日月曜日

「公倍数的人間関係」

先日、私の中学時代の恩師が亡くなり偲ぶ会が青山葬儀場で行われました。


癌の手術をされた後の、2年前同窓会でお会いして20数年ぶりに話をさせていただき、中学のころから感じていた洒落た格好と会話という部分では全く変わりないと実感したことを思い出します。酒をこよなく愛した、イカした先生です。


ただ、彼がどんな価値観、思想をもった人なのかは中学時代には全く理解できず・・・。


先日の偲ぶ会で彼の語録(文集などに寄稿したもの)が、式しおりに記載されており、内容を見て僕の今行っている仕事のルーツがこの先生にあったのかもしれないと全く予期せぬ発見に驚嘆。。


“「公倍数的な関係性」に人の成長、夢がある”と彼は言っています。





以下、私の中学時代の恩師である相川忠亮先生が1972年に担当していたクラスの文集に所収した内容です。



人が生きていくということが、詰まる所、自己を表現していくことだとすれば、そこからする人間関係への夢があってもいいだろう。


それが「公倍数的関係」だ。そこにおける「共通点」は個性を捨象することによって作られるのではなく、相手の個性に匹敵するものを自分の中に作り出すことによって、作られることになる。


互いに個性を発揮しあうことが、ひいては共通の広場をより豊かに広げることになる。


「公約数的関係」では本質的には自分も相手も変わらない。


共通点だけ確認して、自他の個性は相手を刺激しないように、関係の外に置かれる。


それに対して「公倍数的関係」では、お互いの自己主張、自己表現が出発点であり、関係を作るということは、互いに関わりあって、「公倍数」を作りあうということだ。



相手の個性に自分の個性をぶつけてお互いに「公倍数」にまで広がらなくてはならない。



「公約数」は、もともと自分の中にあったものを発見すれば足りるが、「公倍数」は、自分全体を足がかりにし、相手を消化して作り上げるものだ。



自分が自分である所以のものがとても大切なものだということと全く同じ意味で、相手が相手である所以のものがとても大切になる。



僕自身が現在生業にしているシステムコーチング(関係性へのコーチング)で表現したいことを、彼は信条としてもっていて、僕らに関わっていてくれたことを知りました。


すぐに共通点を見つけようとする、関係性に僕は違和感を覚えています。


違いが大事だと言いつつ、結局共通点に行きがちな傾向。



違いが大事ならば、まずは違いが何かをはっきりさせる必要があり、そのことができてこそ本当の多様性が生まれる、彼の言葉でいうところの「公倍数的関係」です。



中学時代は全くわからなかった彼の考えがいつの間にか僕の中には残っていたのかもしれないと思うのと、今この仕事をしていることが決して偶然ではなく、恩師が常に発していたメッセージと符合しています。


自分が創られているいる存在だと知ったし、この仕事への向き合い方を彼から改めて念を押された気がした出来事でした。

2011年3月22日火曜日

これから必要な力:レジリエンス(resilience)

私たちが行っているシステムコーチング(関係性へのコーチング)の向かう先として、そのシステム(関係性、あるいは組織など)のレジリエンス(resilience)が強くなることが挙げられます。



このレジリエンスは、組織やコミュニティをはじめとするすべての関係性に今一番求められている力と個人的には考えています。


ちなみにレジリエンスを日本語に訳すと



「困難な状況にもかかわらず、うまく適応できる力」



となります。





2011年3月17日木曜日

漠然とした不安(直接的に被災していないからこそのケア)

地震からあっという間に1週間がたとうとしています。

震災、津波の不安から今では原発の動向に不安の比重は移行している感じを受けています。


僕自身、2日前くらいまでは非常に不安定な状況でした。


ちなみに僕自身はもちろんのこと、周りに大きな被害を受けていたり被災地に知り合いが多くいるわけではありません。そういう意味では、差し迫った状況や安否確認が出来ていないなどの被災者やその関係者の方々が感じているような不安や問題があるわけではありません。


一方はっきりとした不安の対象がないまま、「漠然とした不安」が自分や自分の周りにあることにも気付きます。


そして、これは対象がはっきりしていない分じわじわと影響を与えていると感じます。


で、僕なりにどんなことでこれを解消できるのか、あるいは少しでもこの気持ちの重さや不安を軽減できるのかをこの数日の経験で感じたこととしてここに書きます。



あくまで、僕の場合なので全ての人に有用かはわかりません、ただ僕の仲間も似たような気持ちを持っていることも確かだと思います。





1、まずは話す、可能であれば会って話す。内容はなんでもOK。特に感情面を出せるように。


いろいろなコミュニケーションツールやSNSのようなサービスも本当に役立つし、心強いことも確かです。でも、誰かと話すことでの安心感は僕にとっては大きかったです。話の中身は何でもいいです。こういう状況だからまじめに話す、下らないことを言ってはいけないなどは一切考えず。

きっと、自分自身のいろんなことを知らない間に抑圧していると思います。

良くも悪くもこれだけ日本が一丸となっている中、そこから少しでも外れそうな話題や、あるいは不謹慎なのではないかということは口にはしづらいのではないでしょうか。僕自身、いろいろな抑圧があることに気付きました。



2、可能であれば何について不安なのかも話してみる


漠然とした不安は漠然としている限り何時までも対処しづらいと感じます。
僕は漠然とした不安はまだはっきり分からないところもありますが、話しているうちに

・仕事のことが不安(キャンセル続出、仕掛けていたものも頓挫。。。独立初年度この後どーなる?)

ということに気を取られていることがわかりました。
実際、この後ある顧客とミーティングの機会があったことでだいぶ気持ちは変わりました。




あと、このこととは直接関係ないのですがある人との関係性を気にかけていたことが、いつの間にかこの漠然とした不安と一緒になって増幅していたことも発覚。



もちろん仕事以外にも、放射能汚染の事、子供や親のこと、何時また大きな地震が来るかもしれないということの人もいるでしょう。


また僕と一緒でいつの間にか、この震災と関係ないことがその不安に増幅されているのかもしれません。




3、被災地、被災者への想いと同じぐらい、自分へのケアも考える

僕自身はあまり、これについては大丈夫だと思うものの、とにかく被災者のために何ができるか考えようという機運があることも確か。


まずは一人一人が十分な状態を保った上で、支援活動したほうが健全。
なにかしなければという焦りのエネルギーが伝播していると思います。



以上、あくまで僕の視点です。



少しでも役に立てばうれしいです。

2011年3月13日日曜日

被災地のみなさんに

日本史上最大の地震が起きました、そして全容が明らかになるにつれ大きなショックとこれから待ち受ける大きな試練を感じます。

僕自身もちろん出来ることから、そして普通に力強い生活をしつつ、被災地の人たちへの想いを送りたいと思っています。


今、何故かミスチルの「彩り」という曲の歌詞が頭をめぐっています。
教訓的な示唆も何もありません、でも僕の中でめぐっています。






ただ目の前に並べられた仕事を手際よくこなしてく
コーヒーを相棒にして
いいさ 誰が褒めるでもないけど
小さなプライドをこの胸に 勲章みたいに付けて

僕のした単純作業が この世界を回り回って
まだ出会ったこともない人の笑い声を作ってゆく
そんな些細な生き甲斐が 日常に彩りを加える
モノクロの僕の毎日に 少ないけど 赤 黄色 緑

今 社会とか世界のどこかで起きる大きな出来事を
取り上げて議論して
少し自分が高尚な人種になれた気がして
夜が明けて また小さな庶民

憧れにはほど遠くって 手を伸ばしても届かなくて
カタログは付箋したまんま ゴミ箱へと捨てるのがオチ
そして些細な生き甲斐は 時に馬鹿馬鹿しく思える
あわてて僕は彩を探す
にじんでいても 金 銀 紫

ただいま
おかえり

なんてことのない作業が この世界を回り回って
何処の誰かも知らない人の笑い声を作ってゆく
そんな些細な生き甲斐が 日常に彩りを加える
モノクロの僕の毎日に 増やしていく 水色 オレンジ

なんてことのない作業が 回り回り回り回って
今 僕の目の前の人の笑い顔を作ってゆく
そんな確かな生き甲斐が 日常に彩りを加える
モノクロの僕の毎日に 頬が染まる 温かなピンク
増やしていく きれいな彩り








被災地の僕らの仲間に、この歌詞とともに、気持ちをずっと贈ります。

橋本博季

2011年3月9日水曜日

独立と自由の関係性

僕は独立をしましたが、何が独立する理由なのかを一言でいえば「自由にやりたいことをやるため」です。


もちろん独立の理由は人それぞれですが、最近になって独立と自由の関係性についてはっきりしてきたことがあります。



この関係性によって、独立したからと言って自由だとは限らないし、独立しなくても自由な人もいると言えることが分かってきました。



正直収入面もあまり関係ない気がしています、もちろん収入は多いほうが選択肢は多くなるともいえますが。(これも一概には言えませんが、とにかく金を稼ぐためのマーケティングコンサルとかは、心から軽蔑していますw)



さて、独立と自由の関係性はどんなものなのでしょう?





2011年3月8日火曜日

「沈黙」は情報の宝庫

システムコーチング(組織などを対象にした関係性へのコーチング)を行う中で、クライアントの組織が時に沈黙することがあります。


普段の会議や商談などでも、沈黙するシチュエーションはよくあることです。


沈黙になると、何故かその状況を打開しようとして盛り上げるような事が行われることがありますが実はそれはとてももったいない。沈黙は何故か良くないものとして扱われることが多いと感じます。



沈黙には多くの情報があり、そしてその情報は多くの場合、重要なものがほとんど。



2011年3月6日日曜日

悲しめない人は喜べない

僕は感情をそのまま表現するのが、以前は本当に苦手でした。


何の思い込みがあったのか、どんな時もクールにいることをとても強く実行しようとしていた気がします。今考えても何がきっかけだったかは本当によくわかりませんが・・。


先日あるサイトで感情についての話を取り扱っていて面白いなと思うことがありました。



人間は感情を部分的に抑えることは出来ないようになっているという話しです。



社会通念なのか、会社という組織での暗黙の了解なのか、特にネガティブな感情(正確に言うとネガティブと言われている感情)はあまり表に出さないようにすることが求められたりするします。






2011年3月1日火曜日

「上司、部下」から「奥さん」に対象が変わる!?

システムコーチング(関係性へのコーチング)や、人間関係スムーズセミナーなどを行うと非常に面白い傾向があることに気付きます。


例えばセミナーの冒頭でみなさんにこんな問いをお渡しします。


「今日、このセミナーから持って帰りたいことはなんですか?」


この問いに、


「会社での人間関係に役立てたいです」


という返答が多くあります。


やはり、会社などでの人間関係で少なからずとも悩んでいたり、気になっていたりする方は多いようです。これはいつの時代も変わらないのかもしれませんし、今のような時代ゆえに多いのかもしれません。


しかし、終わる時に面白い変化がある人がいます。