2011年3月17日木曜日

漠然とした不安(直接的に被災していないからこそのケア)

地震からあっという間に1週間がたとうとしています。

震災、津波の不安から今では原発の動向に不安の比重は移行している感じを受けています。


僕自身、2日前くらいまでは非常に不安定な状況でした。


ちなみに僕自身はもちろんのこと、周りに大きな被害を受けていたり被災地に知り合いが多くいるわけではありません。そういう意味では、差し迫った状況や安否確認が出来ていないなどの被災者やその関係者の方々が感じているような不安や問題があるわけではありません。


一方はっきりとした不安の対象がないまま、「漠然とした不安」が自分や自分の周りにあることにも気付きます。


そして、これは対象がはっきりしていない分じわじわと影響を与えていると感じます。


で、僕なりにどんなことでこれを解消できるのか、あるいは少しでもこの気持ちの重さや不安を軽減できるのかをこの数日の経験で感じたこととしてここに書きます。



あくまで、僕の場合なので全ての人に有用かはわかりません、ただ僕の仲間も似たような気持ちを持っていることも確かだと思います。





1、まずは話す、可能であれば会って話す。内容はなんでもOK。特に感情面を出せるように。


いろいろなコミュニケーションツールやSNSのようなサービスも本当に役立つし、心強いことも確かです。でも、誰かと話すことでの安心感は僕にとっては大きかったです。話の中身は何でもいいです。こういう状況だからまじめに話す、下らないことを言ってはいけないなどは一切考えず。

きっと、自分自身のいろんなことを知らない間に抑圧していると思います。

良くも悪くもこれだけ日本が一丸となっている中、そこから少しでも外れそうな話題や、あるいは不謹慎なのではないかということは口にはしづらいのではないでしょうか。僕自身、いろいろな抑圧があることに気付きました。



2、可能であれば何について不安なのかも話してみる


漠然とした不安は漠然としている限り何時までも対処しづらいと感じます。
僕は漠然とした不安はまだはっきり分からないところもありますが、話しているうちに

・仕事のことが不安(キャンセル続出、仕掛けていたものも頓挫。。。独立初年度この後どーなる?)

ということに気を取られていることがわかりました。
実際、この後ある顧客とミーティングの機会があったことでだいぶ気持ちは変わりました。




あと、このこととは直接関係ないのですがある人との関係性を気にかけていたことが、いつの間にかこの漠然とした不安と一緒になって増幅していたことも発覚。



もちろん仕事以外にも、放射能汚染の事、子供や親のこと、何時また大きな地震が来るかもしれないということの人もいるでしょう。


また僕と一緒でいつの間にか、この震災と関係ないことがその不安に増幅されているのかもしれません。




3、被災地、被災者への想いと同じぐらい、自分へのケアも考える

僕自身はあまり、これについては大丈夫だと思うものの、とにかく被災者のために何ができるか考えようという機運があることも確か。


まずは一人一人が十分な状態を保った上で、支援活動したほうが健全。
なにかしなければという焦りのエネルギーが伝播していると思います。



以上、あくまで僕の視点です。



少しでも役に立てばうれしいです。

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